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2005.02.13

母親の死とその顛末

なにから書いたものか。

前回、意味不明な書き込みをしましたが、その10分くらい前まではふぐの日ということで、ちょっと贅沢にふぐでも食べてみようかしら、などと思いつつの帰り道でした。11時ごろ吉祥寺に着いたのと同時に携帯に着信がありました。それが実家から。母親は入院しているはずなのになぜ実家から電話が?と思って出てみると、実家から電話をかけてきたのはなんと警察官ではないですか!

要約すると「日本舞踊の稽古を連絡もなしに休んだ母親を心配したお師匠さんが、稽古後にわざわざ家を訪ねてくれたそうで、そのときに明かりは点いているし、テレビの音も聞こえるのに中から返事がないのを不審に思い救急と警察に連絡をしてくれて、レスキューがベランダから室内に入ったところ母親と思われる女性がすでに冷たくなっていた・・・」というものでした。

まあ、なんだかわけが分からず井の頭公園を駅に引き返している間に携帯からアップしたらしいのが前回の書き込みでした。

残念ながら川崎の実家に戻るのに1時間以上かかることから、その間に亡骸は警察署の方へ運ばれることになり、ぼくは弟にとりあえず家に向かうように連絡をとって、深夜、直接地元の警察署に向かいました。

現場に立ち会っていた警察官の方から説明をうけたところ、どうやらぼくに母親から電話があった日に、病院で検査を受けた際、即入院を勧められたそうなのですが、普段元気であった母親は入院の準備をしたいからと、入院を翌日にして帰宅したんだそうです。そして、髪を染めにいったりしていたらしいです。そして、夜、入院の準備をしっかりしてから息子に連絡をとったと。その後、どうやら倒れたようです。電話を受けたぼくは入院するということも、昨年ヘルニアの手術を受けた時のようにまったくなんの心配もないような口ぶりだったので、まったくそこまでの心配はしていませんでした。まあ、だからこのブログにも電話の一件を書いたわけですが。当の母親自身が、まさかこんなことになるなどとは夢にも思っていなかったのでしょうが。結局、死因は心筋梗塞でした。悔やんでももう帰ってはこないわけですが、いやはやなんとも。いくらでも死なずにすんだ要因はあったのですよね。残念ですけれど。

発作が起きたときに処方されたニトロの錠剤を飲んだりしたあとがあったそうです。いろいろと親切に説明してくれた警察官の方は涙をにじませてくれていました。ありがたいことです。警察署の霊安室で対面した母親はとても小さく見えました。また表情が苦しそうな感じで硬直していたのが、とても見ていて辛かった。でも涙は出ませんでした。なんというか、感情が喪失してまっていたというか。

いったんタクシーで実家に帰り、弟が二人揃ったところで、二人を連れて車で警察署にとりあえず母親と対面させるために向かいました。

父親はもう20年以上前に亡くしているので、長男であるぼくが喪主となるわけですが、あんまり突然で何をどうしたものか途方にくれていたわけですが、翌日からは、生前母親と懇意にして下さっていたお友達の方々があれこれと世話を焼いて下さり今日に至ります。明日の日曜日に通夜で月曜日が告別式と、式の本番は、まあ、明日からなので、もうちょっと大変ではありますが、まあ、こうして今回アップできるくらいにはすっかり落ち着いていますので、ご心配なきよう。

この記事に関してはコメントはご遠慮ください。メールは目を通していますが、なかなか返事は書けないかもしれません。

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